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あれ以来、かれこれ今日で三度目である。 「次は、いつ。」、そう”にっこり”と笑顔で問われ、そのたびに「もう来なくて結構。」と、葉月は佐為に言いそびれているのである。 大体、主上様をはじめ、大臣、公卿らの高級官僚を日々相手にする男が、何を好き好んでこのような所で、童部らを相手に碁を教えたがるのか、さっぱり葉月には理解できない。 あの日―――、 葉月と光が打つ盤面を、たいそう興味深げに覗き込んでいた佐為が、“ほれ”とばかりに葉月を追い遣って、光の前を陣取って以来―――、 佐為と光が打ち始めると、物珍しさも手伝って、他の子らまでもが、二人の回りを物見高げに取り囲むのだ。 行状不良のこの男に、”あっ”と言う間に童部らが懐いてしまったことが、佐為に対するやっかみとはわかっていても、葉月としては、どうしても気に入らないのである。 そして・・・、 「なんで・・・んだよ。」 「いいじゃ・・・たせ・・・よ。」 「だーっっ、もう、・・・らさぁ・・・」 「こんな・・・・じゃ・・・いか。」 「あ・・・、それ・・・」 社務に手間取り、思わぬ時間を取られた葉月が、遅れ馳せに西の対の塗籠に差し掛かったとき、童部らの勝手勝手にさんざめく声が聞こえてきた。 佐為がもうすでに訪れていることは、召次に聞いていた。 それでもなお、『もう、来るな。』そう心の中で叫びつつ、御簾の遑から”ひょい”と中を覗き込んで、葉月は「は〜」と大きく溜息を吐いた。 室内には、御簾の遑だけでなく、床まで下りた左右の簾を透くように、秋の穏やかな光と風が降り注いでいる。 そこに備えられた三面の碁盤のうち、二面は使われた跡も無く、碁笥がきちんと乗せられたまま、御簾を透して差し込んだ、光と影が曖昧な明るさとなって、その上に淡い陰影を落としている。 その奥の、子らが寄り合うただ一つの碁盤には、 頭一つ擢んでた楽しげな秀美な顔―――。 烏帽子を頂く艶やかな黒髪は、腰あたりで束ねられ、床に落ちた髪裾が、綺麗な扇の形を象る―――。 そう、今日もまた佐為の打つ碁盤の周りを”ぐるり”と取り囲むように、童部らが興味深げに覗き込んでいるのだ。 「そなたたちは、一日そこで人の打つ碁を眺めるつもりか。それぞれ座につき、自ら碁を打ってはどうか。」 再び小さく溜息を吐き、葉月がそう声を掛けると、 ”くるり”と振り向く童部らが、「はーい」や「ふぁーい」の入り交じった返事をしながら、”わらわら”と立ち上がり、一人、二人と席につく。 そして・・・、 ―――最後に残ったのは・・・、 小さな朱赤の衵姿―――。 「は!?」、葉月は思わず声を上げた。てっきり佐為が相手をしているのは、光とばかり思っていたのだ。 「な、何故あなたが、あかりの相手をしておられる!」 ”たた”と慌ててあかりに駆け寄ると、“ぱん”と袴を捌くなり、“ぺたり”と佐為に対座する。 あかりはこの手習所の紅一点、まだ、十にもならぬ童女だが、葉月の目から見てもかなりの美少女である。 大きなつぶらな瞳に、掛かるや掛からぬやで切りそろえられた前髪と、やっと腰に届くほどに伸びた、幼子特有の絹糸に似た“ふわり”とした黒髪が、その透き通らんばかりの白い小さな顔を縁取ると、ほんのりと桜色の艶やかな頬の色を際立たせる。 あと、ニ、三年もすれば、裳着を迎える立派な淑女である。 そんなあかりを、佐為が相手をしているのである。葉月としては、危険極まりないとしか思えない。 「なんでと言われても、あかりが相手をしてくれと、言うからだよ。」 盤面から目を逸らし、そのくっきりとした美しい切れ長の目を葉月に当てて、佐為が少し訝しげに返すなり、 「失礼ながら、この際はっきりと申し上げます。 あかりはまだ、十にもならぬ身。間違っても手出しなさろうなどと思われようものなら、この私が許しませぬ。」 そう、有無を言わせぬ勢いで、葉月が“ぴしゃり”と釘を刺す。 「ふうん、なるほどね。珍しく、そなたが寄ってきたかと思えば、そんなことを気にかけていたのか。」 暫し、呆気に取られた佐為が、苦笑交じりにそう言うと、“むっ”と葉月が鼻白んだ。 「ほのかにふくらみ咲き初む若芽も、いずれ色香の美しく、匂わんばかりに咲きたれば、源氏に習いて後少し、育み立つのも一興か。」 さも可笑しげな声色が、”さらり”と葉月に言い遣ると、碁笥の石が”ちゃらり”と鳴って、僅かに節立つすらりとした指先が、優美な仕草で挟み取り、石を”ぱちり”と打ち下ろす。 「これはまた、戯れたことを。源氏を気取られるは勝手。だが、私が見守るうちは、ここにいる童部らに無用な手出しはなりませぬ。」 佐為の言い様が気に障る。葉月は腹立たしげに語気を荒げた。 ”ちらり”と葉月を一瞥すると、佐為は心もとなげに石を持ち、ふいに身動ぐ小さな姿に、 「あかり、その手はあまり良くないな。よく見てごらん。当りがあるよ。」 そう声を掛けると、打ち掛けた小さな手が、戸惑うように止まって、つぶらな瞳が佐為を見上げる。 どうやら葉月が自分のことで、佐為を諌めているらしいのは判っていた。 だが、「私も相手をして欲しい。」この美しい希代の名手に、温和しいあかりが、消え入るような小さな声で、やっとの思いで懇願したのは先ほどのこと。 その花の顔を”ふわり”と綻ばせると、 「構わないよ。そこにお座り。」 そう、何の衒いもなく聞き入れてもらえたことが本当に嬉くて、佐為が繰り出す一手、一手に懸命に応えようとする余り、そんなことを気にかけるだけの余裕など、今のあかりにはまるで無いのである。 だから・・・、 「あかり、そなたは私が好きか。」 不意に、そう優しげに佐為に問われ、咄嗟に“こくり”と頷いた。 「ならば、も少し大きくなったら、私の妻になってくれるか。」 稀有の美貌を向けられて、何がなんだかよくわからなかったが、さすがに“ぱっ”と顔を赤らめると、恥ずかしげに顔を俯けた。 どういうことなのか良くわからない。助けを求めるように、隣のいつもの黄檗色の水干姿に、おずおずと目を泳がせると、 大仰に腕を組み、「う゛〜ん」と唸りながら、一心不乱に盤面を凝視する姿には、殊更こちらに興味もなさげで、 ”ふ”と小さく吐息を吐くと、あかりは尚も小さく頷いた。 「そうか、それはうれしいな。やはり女子は、あかりのように素直なのが、可愛いものだよ。」 そう”にっこり”微笑んだ、佐為の嬉しげなその言い様は、どう聞いても葉月への当て擦りとしか聞こえない。 ”ぷちっ” 葉月の怒りの文様が、一個飛ぶ・・・。 「あなたは!私の言うことを聞いてないのか!!その様なこと、私は絶対許しませぬ!!」 膝上に置いた手平を、葉月は”きゅっ”と握り締めると、苛立たしげに声を荒げた。 「これは、よくわからぬな。あかりは私を好いていると言っているし、私はあかりが女になるのを待つと言っている。そなたは一体何を咎め立てるのか。 葉月・・・、そなた、あかりの身を案じているのか、妬いているのか、一体どちらだ。」 そう、可笑しげに秀眉を上げて、からかうような艶やかな笑みを向けられ、 ―――”かっ”と、葉月の頬が染まる。 「な、・・!?あ、あなたは一体何を言っている!!私が一体・・・!!」 思いもかけぬ頬の熱さに戸惑うと、いつもにまして向きになり、蹴立てんばかりに立ち上がりかけて、 葉月は「あ!」と小さく声を上げた。 勢い余って袴の裾を踏み付けてしまったのだ。 つんのめるように倒れかけて、咄嗟についた掌を、盤面に散りばめられた石が、“するり”と無情に滑らせた。 ―――したたかに打ち付けられる、と思った刹那・・・、 思いもかけぬ力強さで、 葉月の体が受け止められた―――。 |