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―――芳しい清しい薫香が、 葉月の体を包み込む―――。 一瞬、何がなんだかわからない。 ただ、自分が佐為にしっかりと捕らわれていることだけは理解できた。 “かっ”と体が、羞恥で火照る―――。 「は・・、離せ!!」 葉月が、くぐもる声で咎めるように言い放つと、 「だが、この有様ではどう見ても、離れるべきはそなたであろう。」 そう、佐為が可笑しげに、少し呆れたように言い返した。 確かにそれはそうである。 今の葉月は、佐為が咄嗟に差し出した、その腕に抱かれるように、辛うじて受け止められているのである。 佐為の胸へと引き寄せられて、不安定に支えられているこの状態では、その胸元に手をついて、自ら身を起こさぬ限り、そこから逃れる手立てはない。 だが、幾重にも重ね合わせて絹衣を纏っているとは言え、なよやかな薄衣のこと、抱かれる腕のしなやかさでさえ、はっきり葉月に感じ取れて・・・、 その胸元に、手平を当てるのを・・・、 葉月は一瞬躊躇った―――。 戸惑うように仰ぎ見る葉月の瞳を、僅かに伏せた煙たつ眼差しが、“ふわり”とやわらかく覗き込む。 初めて間近に見る、その容顔の匂いやかな美しさに、葉月が思わず息を呑むと―――、 ”ふ”と何気に・・・、 ―――佐為の桜色の唇が落とされた・・・。 思いがけぬその所作に、葉月の紅い唇が驚いたように薄く開くと、佐為のそれが触れ合わんばかりに近づけられて・・・、 艶やかな黒髪が、“さらり”と流れ落ちると・・・、 二人だけの帳を下ろす―――。
ことの成り行きに息を呑み、好奇に満ちた眼差しを注ぐ童部らから、「わあ」と歓呼の声が溢れた。 (・・!?は?) その声に”はっ”と葉月が我に返って、 ”ぱちくり”と、まあるく見開く眼に映ったものは・・・、 擦れ擦れ間近に寄せられた 端正な佐為の顔―――。 「な、な、な、何!」 あわや、紙一重で口付けされかけ、先ほどまでの躊躇いが、まるで無かったかのように、咄嗟に佐為を押し遣ると、慌てて葉月が飛び起きた。 「何と言われても、そのように切なげな顔をして、離れ難げにしがみ付かれては、ついその気になってしまうな。」 葉月の戸惑いとは裏腹に、佐為は事も無げにそう応えると、”にっこり”と笑顔を向ける。 「つ・・つ・・・つ・・・つい!? ついで、あなたは、このようなことをなされるのか!!」 山の木々の紅葉に負けんばかりに、葉月はその艶やかな頬を赤らめて、呆れたように言い咎めると、 「そりゃ、するだろう、男なら。」 そんなことを問われることさえ、腑に落ちぬように、こちらは怪訝な面持ちで葉月に答える。 「は!?」、その当然と言わんばかりの佐為の態度に、呆れ果ててものも言えないと言うならば、かえって話はすんなり終わる。・・・が、根が生真面目な葉月としては、佐為のその軽びやかな物言いが気に入らない。 だから・・・、 手指で”たん!”と床を打つなり、詰め寄らんばかりに身を乗り出すと、 「あなたの!その軽佻浮薄な所行の数、々!! 世の女が皆、あなたのその妄動を許すとでも思っているのか!!口を開けば戯言ばかり!大体あなたに、・・・」 そう、葉月が佐為を咎め立て始める。 こうなると、ついでに普段の憤懣も爆発したりするのだ・・・。 そして・・・、 まだまだ続く葉月の小言の間を縫うように、 「ねぇ、けいちょうふはく、って何?」 いつの間にか身近に寄り、直衣の袖を”つい”と引き、光が“こそり”と佐為に問うと、 「己が心に素直なこと、か。」 片眉を僅かに上げて、どこか少し決まり悪げに、こちらも小声で”こそり”と繕う。 少々、怪しげな気もするが、光は「ふーん。」と返事をすると、床の上に散らばる石を一つ、二つと拾い上げ、「はい。」とばかりに手渡すと、何の造作も無いように、示教半途の盤面を、佐為が“ひょい”と並べ直す。 そう、こういう状況では、 妙に男は連帯するのだ―――。 葉月のことなど知らぬ気に、男二人で“こそこそ”と、内輪話をする様子に、更にここで葉月が切れた。 「き、聞いているのか!私の話を!!」 盤面に置きかけた石を、”ぴたり”と宙に止めると、いつもの優美な笑顔を向けて、 「もちろん聞いているよ、反省もしている。」 そう、佐為が”さらり”と返す。 (き・・聞いてないし、反省もしてない。絶対に!!) 膝の片手は”ぷるぷる”震え、もう片手は眉間を押さえる。怒りの”ぶちぶち”文様が、葉月の周りを乱舞する。 「大体!!何故あなたのような方がこのような所で、童部相手に碁を教えることがある!確かにあなたは希代の妙手と世上に名高い。だからこそ、ここでの手習いを、父があなたに乞うたのだろうが、はっきり言って、迷惑千万!たかだか童部相手のこと、自今以後、煩労願うこともありますまい!!」 そう”ぴしゃり”と言い切るなり、”たん!”と床を蹴立てた葉月を、瞬ぎもせぬ佐為が見上げる。 ―――僅かに揺らいだ秀眉な顔――― 。 葉月は”きゅっ”とその紅い口端を噛むと、居た堪らぬように身を翻し、急き立つように御簾の遑を擦り抜けた。 |