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「結局、私は一体何をしに来たのだろう。」 御匣殿から透廊を渡り、常寧殿の北の簀の子を”とぼとぼ”と歩く葉月は、「はぁ。」と溜息混じりに呟いた。 今日は、御匣殿の蔵人らに、呼ばれて来たのだ。 最近、特に内裏の局によく呼ばれるのだ。他愛のない占いの話から、紅の色がどうだとか、何処そこの公達が素敵だとか、こんな文をもらったとか、若い女官たちの交わす話は、いつの世も大体似たようなものである。 そんな、さんざめくような取り止めのない話の終わりに、近頃、必ず”藤原佐為”の話が持ち上がるのだ。 確かに以前から、話に上ることは多かった。 誰もが見惚れるその美貌と、誰もが認める才能の持ち主である。当然ながら、艶聞も数多い。(事実か否かは別として。)口さがない若い女官たちが、黙っているわけはないのである。 だが、どうやら、このところ囲碁の手解きに、社務所へ訪れる佐為と葉月が、都中で噂になっているらしいのだ。 初めはただ、出入りしている、と言うだけだった話が、噂となると、大概面白可笑しく伝わっていく。 いつの間にか、「男に手馴れた女しか相手にしない藤原佐為が、生娘の杜の社の巫女殿に手を出したのか、否か。」と、いうような話になっているらしいのである。 全く、迷惑な話である。 大体、たとえそれが事実だとしても、皆が皆、口をそろえて葉月を生娘だと決め付けていることが、葉月としては少々複雑なのである。 なんだか、「誰一人言い寄る男もない女」と、言われているような気がするからだ。 で、今日も・・・、 初めこそは、他愛のない恋占いで盛り上がっていた蔵人たちが、若い公達の噂話や艶めいた恋の話に変わる頃、いつの間にか、好奇に満ちた八つの目に、”ぐるり”と葉月は囲まれていた。 そして・・・、 「最近、そなたのところへ佐為殿が通っておろう。」 待ちかねたように、一人の蔵人がそう切り出した。 (はー、やはり来たか。) と、葉月は溜息混じりに思いつつも、 「碁を習いに来る子らに、手解きに参られております。」 と、とりあえず事実だけを手短に答えた。 このところ、必ず聞かれるのである。もう、葉月の方も要領を得ている。 「ふうん・・・。で、何処まで行った。」 「は?」 あまりの単刀直入さに、さすがに開いた口が塞がらない。 大体、「手解きに来る。」が何故「何処まで行った。」につながるのか、良くわからない。 これが歌の上の句と、下の句ならば、都中のいい笑いものである。 心で「はぁー」と大きく溜息を吐くと、 「別に、なんにも。」 葉月は、そう短く答えた。 「えぇぇぇぇぇー!!」 蔵人四人が一斉に、非難めいて漣立った。 要は、「そんなわけないだろう。」と、言うことである。「そんなことないだろ。」と言われても、それが事実である。葉月は黙っていた。 「では、順に聞こう。」 先ほどの蔵人が、気を取り直すように、居住まいを正すと、そう”にっこり”と微笑んだ。 「手、は握られたか。」 とりあえず、恋のいろはの、「い」から聞くつもりらしい。 「いえ、別に。」 葉月は、これまた事実だけを短く答えた。手首を掴まれたことはあっても、「手」など、握られたことはない。 「・・・」 しばしの沈黙の後、四人の蔵人たちは互いの顔を見交わすと、先ほどまでの満面の好奇心は何処へやら、 「まあ、この人数でもあるし、貝合わせでもどうだ。」 そう言うと、そそくさと立ち上がり、桶を持って来ると、美しいとりどりの貝殻を並べ始める。 最近、ほとんどこの調子である。 後は、貝合わせが双六になるか、碁になるかの違いである。もうすっかり、葉月も慣れっこになっていた。 ただ今度は、あの”藤原佐為”が”手”さえ握らぬ女と、取り沙汰されることが、一体どうなのか、こちらも少々葉月としては複雑なところではあるが。 さすがに先日、見栄を張ったと言う訳ではないが、 「一度、口付けされそうになった。」と、口走ってしまいかけたが、それが後で佐為の耳に入って、”つい”で仕掛けたことが、バレた時、陰陽師の魔除けではないが、「女失格」と書かれた札を、”ぺしり”と”おでこ”に張られるような気がして、結局それは思い止まったのだ。 「はあ。」 簀の子の突き当たりを”くい”と曲がると、も一度、葉月が溜息を吐いた。 「大体、なんで、私が選りに選って、あの男と噂されなくてはならないのだ。」 佐為を良く知る女たちは(必ずしも深い仲ではなさそうにしろ)、みな優雅で優しい男と口を揃える。 百歩譲って、「優雅」は認めるとしても、「優しい」は納得いかない。 未だかつて、小指の先ほども優しくしてもらった覚えなぞ、葉月には一度もないのである。 なのに、この噂である。そう思うと、だんだん腹が立って来る。 相変わらず、いそいそと子らに教えに来る佐為は、噂のことなど ”おくび”にも出さない。佐為としては、別に今更そんなもの、露ほども気に留めていないのだろう。 大体、葉月を女だと、思っているのかどうかさえ、怪しいものなのである。 一人あれやこれや思い巡らせるのが、なんだか馬鹿らしくなってきて、 「私は知らない、関係ない!」 そう振り切るように呟くと、葉月は宣耀殿へ続く透廊に足を向けた。 この反橋の下を流れる、杜のせせらぎを思わせるような遣水の美しい流れが、葉月は大好きである。 いつものように高覧に寄り、その水面を覗き込もうとして、向かいの回廊に佇む、その姿に気が付いた。 と、言うより黒い装束が目端に留まったのだ。 何気に上げた葉月の眼に映ったのは―――、 寄り添うような漆黒の衣冠姿と、 深黄の艶やかな小袿姿・・・。 (あ、逢引?) そう思い浮かんだのと同時に、 ”とくん”と葉月の鼓動が鳴った。 ―――衣冠姿のその人の、 烏帽子を頂く長い黒髪が、 秋の穏やかな陽の光を、 滑るように映し返す。 遠目にも見て取れる、 その見慣れた端正な顔は・・・、 「佐為だ・・・。」 葉月が茫然と立ち竦んだ。 寄り添う姿が、尚も互いに近づくと、 触れ合わんばかりに寄せ合った 顔と顔が重なり合い――― やがて・・・、 ゆっくりと上げられた顔が、少し驚いたようにこちらに向けられると、葉月は”はっ”と息を呑んだ。 ”どきり”と大きく鼓動が打つ。 ”すとん”と、血の気が引いた気がした―――。 見てはいけないものを見てしまった、と言うより、見たくないものを見てしまった、という感じであろうか。 葉月は半歩後退ると、”くるり”と踵を返し、今来た道を足早に引き返した。 |