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目の前の妻戸の先の渡殿を見遣る友成の視線を追うと、女房の市川に傅かれるように先導される直衣姿が葉月の眼に入った。 直衣の襲ねの色目は、白と萌黄の花菖蒲・・・。 遠目にもそれを着るものの雅情が窺い知れる。 ―――「藤原佐為殿だ。」 「え?」 思いもかけぬ名を聞いて、あわてて葉月と明良も座礼する。 ―――“さらり”とかすかな衣擦れの音が近づき、なよやかに通り過ぎる・・・。 その優雅な所作の流れに乗り、直衣に薫き染められた香が、あたり一面に薫りたつ。 ―――おだやかなかわいた木の香り・・・ひんやりした森の中にたたずんでいるような清純な薫り・・・。 人々が言い做す艶めいた風聞と、その薫香との心象が違う。 ―――その微かな違和感・・・。 心ともなく、確かめるように葉月の顔が上がる。それに気付いたように・・・、 ―――葉月を見下ろす佐為の目とあった。 ―――烟りたつ清しいその双眼。漆黒の艶やかな長い髪。引き締められ軽く結ばれた薄紅色の唇。すらりとした長身の躰・・・。 美やかな切れ長の目を細め、薄く笑った。瞬く間に、その容貌が艶めく―――。 “はっ”として、葉月は思わず顔を伏せた。湧き上がる決まり悪さに、いたたまれない。 ―――その一瞥で、数多の女たちを魅了する・・・。 ―――そんな噂が思い出される。 (違う・・・そんなつもりではない!) つい顔を上げてしまったことが、悔やまれる。 ―――わずかな時の流れが遅緩する・・・。 ―――思いがけない羞恥に体が強張る・・・。 葉月は、突いたその手を握り締め、たまらずその紅い唇を噛んだ。 「葉月殿、どうかなされたか。」 “ふと”気づくと、隣に端座していた明良が、葉月の様子を案じるように、その艶やかな髪を揺らし、覗き込んでいる。 「いや、何でもありませぬ。」 身を起こしてそう答え、葉月は曖昧な笑みを向けた。それに気づいたか、立ち上がりかけて、片膝を付いた友成が訝しげな顔を葉月に向けると、“にやり”と笑い、戯れたように言う。 「まさか、御前まで藤原佐為を見初めたか。」 葉月はざわめく心を振り払うように、“すっく”と立ち上がると、その凛然とした目を細め、友成を睨め殺す。(ちーん・・・) 「おっ・・おま・・。ま・・待て。葉月!」 気圧され固まる友成と明良を捨て置いて、怒気も露に踏みしだき、立ち去る葉月をあわてて引き留めようと言いかけて、 (そんなだから、男が寄りつかねぇんだよ!) と続く言葉を呑み込んだ。 なぜなら、こんなときの葉月は怖い。自ら墓穴を掘り、その中に蹴落とされるのは願い下げである。 (友成め、戯言にもほどがある。何故私があのような・・・) ―――あの清澄な薫香の香り・・・。 ―――いったい、あれは何だったのであろう。 葉月は、あわてて追いすがる友成と明良の姿を見て取ると、渡殿の板葺き屋根から覗く空を見上げ、“ふう”と息を吐いた。 |