[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

::白木蓮の雫::
−20−


別段、歌をむのも、ふみを書くのもわずらわしいというわけではない。

懇意こんいな女ならば、鳥の子の薄様うすように女の好むこうめ、折々の四季に咲く草花そうかの一枝を選び添えて、丁重ていちょうに返しもするが、噂しか耳にせぬ見知らぬ女に相聞うたを送るくらいなら、碁譜ごふの一つも書き留めるほうが、佐為としてはよほど楽しいし、有意義でもあったのだ。

第一、そんな面倒な手筈てはずを踏まぬとも、言い寄る女はたくさんいた。みずから、男を誘う女は結構いるのだ。
そんな女達に誘われるまま通ううち、気が付けば、男に手慣たなれた女ばかりを相手にしていた。

だが、互いに割り切り、濃密な一夜を十二分に楽しめるのであれば、それはそれで良かったのである。
労することなく、女が受け入れてくれるのであれば、これほどありがたいことはないのだ。

かと言って、そんな女たちを別に軽んじている訳ではない。
竹生命婦たかふのみょうぶをはじめ、懇意にする女たちはみな、器量もいいし、さっぱりとして、気風きふうもいい。
洒落しゃれた歌を ”さらさら”と書けば、今様いまよう流行歌はやりうた爪弾つまびく手付きも小粋こいきな上に、漢籍からぶみさえも朗々ろうろうと講釈するのだ。
そこいらの蔭位いんいによって高位を得ている良家りょうか子弟していなどと比べれば、よほど素養そようもあれば、目端のく者たちばかりである。

そんな女たちだからこそ、色恋のことなどで不平の一つも言われたり、ましてやめたことなど、いまだかつて一度もなかった。

当然、佐為としては、戯れに交わした口付けなどで、葉月があれほど激しく嫌悪けんおするなどとは、露ほどにも思っていなかったのである。



だから―――、



葉月にそれを見咎みとがめられたあの日から数日後、いつものようにやしろに出向くと、そこに現れたのが、葉月の父、清直きよただ殿であったことに戸惑ったのは、子らだけでなく、それ以上に当惑したのは、実は佐為の方だったのだ。

数日てば気持ちもほぐれる、そう安易に思っていた。そうすれば、少しは話も出来よう、と、そのつもりだったのだ。
だがどうやらそれは思惑おもわく違いだったようで、子らが皆、それぞれ家路へと帰った後、居住まいを正した清直殿が、

「実は―――、」
と、切り出したのだ。

事の次第しだいについては、何も聞いておられぬことはうかがい知れた。だが、娘の様子から、それに佐為がかかわっているのだろう、と言うことは承知しているようであった。




あの日―――、


娘の様子が普段と違うことに気が付いたのは、帰宅し装束しょうぞくを着替えているときだった。

いつもなら、着替えを手伝いながら、宮中に出向いた日などは、何処どこそこのつぼにこんな花が咲いていたとか、何処そこの女房殿の御召おめしが、どんな風に素敵だったとか、その日にあった些細ささいなことを、楽しげに話して聞かせるはずの娘が、その日に限って、何か気がかりでもあるのか、どこか物憂ものうげな様子なのが気にはなっていたのだ。

だから、夕餉ゆうげの後、それとなく問い(ただ)したとき、突然、「しばらく手習いを休みたい。」と言い出され、
何故なにゆえか。」そう何度理由を問うても、かたくなに口を閉ざし、唇をきつく結んだまま ”じっ”とうつむ愛娘まなむすめの姿には、さすがに神司かんづかさと言えどもすすべもなく、溜息ためいきくしかなかったのである。




毎年、年末年始にかけ、宮中の重要な行事である五節会ごせちえの内、豊明とよのあかり、元日、白馬あおうま踏歌とうかの四つの儀式が立て続けに行われるのだ。
この最も神司として多忙な時期に、葉月が嫌だと言う以上、子らに碁を教えて遣れるような時間を作るのは、到底不可能な話である。

そして、それらの行事に出席し、式次第しきしだいつつが無くり行うのが、官僚としての重要な役目であり、それは神司だけではなく、官僚としての立場もある佐為も同じなのだ。

だから、清直殿から、「年明け頃までは、御足労願うこともありますまい。」、そう苦笑交じりに言われたことには、佐為としても異論は無かった。

だが、このまま葉月を放っておく訳にもいかず、清直殿に許しを乞い、葉月の部屋まで押しかけてみたものか、などと、少々不届ふとどきなことを思ったりしたのだが、よほど佐為と顔を合わせたくなかったのか、たまたまなのか、その日は、左大臣邸に所用で出向いていたらしく、以来、葉月とは一度も顔を合わせることは無かったのである。





十月もなかばになると、”しとしと”と降る霖雨りんうもそろそろ終わりを告げる。

豊明の節会も近いとは言え、宮中には、まださほどあわただしさはなく、あちらこちらのつぼねの御簾の向こうから、女主人の指図さしずもと、儀式のあと下賜かしされる被物かずけものでも品定めしているのか、”さらり”とかすかな衣擦きぬずれの音や、”かたこと”と唐櫃からびつらしき箱を開け閉めする物音にまぎれ、時折、女たちの華やいだ笑い声が回廊にさざめき立つ。


「まったく、式部のじょう殿には、かなわぬな。」
特に急ぐ風でもないが、かろやかな足取りで承香殿しょうきょうでん簀子すのこを行く佐為は、可笑おかしげにつぶやくと ”くすり”と苦笑にがわらいした。


例年この時期になると、普段は公卿くぎょうしか列座せぬ閣議にも、しばしば判官ほうがん以上の官僚も集められるのだ。
儀式に列席し、いにしえより伝わる故事先例に忠実に従い、一言一句いちごんいっく一挙手一投足いっきょしゅいちとうそく、寸分たがわず振舞うことが、官僚としての重要な務めの一つなのである。
そのため、この時期、立て続けに行われる宮中の重要な年中行事である節会せちえ式次第しきしだいの細かい打ち合わせが、頻繁に行われるのだ。

そんな少々息の詰まる会議も、いつもよりやや遅いの刻頃には果て、議場ぎじょうとなった曹司ぞうしを退出しかけて、佐為は ”とんとん”と背を突付かれた。
振り返って見れば、式部の丞、紀厚貴きのあつたか殿である。


「お時間あれば、少々付き合っていただけますかね。」
人好きのする満面の笑みを浮かべた肉付きの良いまあるいかんばせが、佐為を見上げ、そう切り出した。

「さて、何用ですか。」
”ふわり”とこちらも微笑むと、その丸いかんばせに目をとどめ、佐為は今朝方けさがたのことを思い返した。


早朝参内さんだいした折に、議場となるこの紫宸殿東面ししんでんひがしおもてへ向う途中、宜陽殿ぎようでんの柱の影で手招きする人の姿は、佐為も良く知る倩命婦せんのみょうぶ殿の蔵人頭くろうどがしらだったのだ。
命婦殿からの言付ことづけだと手渡されたのは、貝合わせの誘いのふみで、不意にしとねの上で(ひも)を解く、命婦殿の姿が頭に浮かびかけて、佐為はそれを打ち消すように、扇で”とん”と額を打つと、承知のむねを短く答えておいたのだ。

特に時間を言い交わしているわけではない。だが、あまり遅くなるのも躊躇ためらわれた、と言うより、その勇気は佐為にはなかった。


どうしたものか、と、しばし思いめぐらせていたが、そんな様子に、まるで頓着とんじゃくすることなく、式部の丞殿は、手近てぢかつぼねの御簾のいとまに扇を差し入れると、”ぴらり”とめくって中をうかがい、否応いやおうもなく、佐為を中に招き入れた。


幅三けんのその部屋には、畳が二畳にじょう敷かれており、そのかたわらに、文筥ふばこ硯筥すずりばこの置かれた二階棚が一卓いったくと、そして数脚の燈台がしつらえられていた。
その片隅に置かれていた円座を佐為にすすめると、式部の丞殿は、おもむろはなだほうふところから四つ折にした少し厚手の鳥の子を取り出して、これまた肉付きの良い丸い手で、床の上に ”がさがさ”と広げると、”にっこり”と微笑んで、
「これに付き合っていただきたい。」
そう一言ひとこと、佐為に告げた。

その厚手の鳥の子紙とりのこがみには、覚束おぼつかない筆遣ふでづかいで、線が一本、その左右には、これまたいびつな丸が一個と、数個の丸が乱雑にかれており、佐為はなか呆気あっけに取られて、それを眺めた。

(これは、新しい遊びか何かか?)
混乱する頭の中で、それに当てはまりそうなものを色々巡らせては見たが、一向いっこうに分からない。
確かめるようにもう一度丸い顔に目を移すと、今度は一欠ひとかけ塵屑ごみくずと、手垢てあかのついた冊子そうしを取り出して、
よろしく。」と、これまた得意げな笑みを向けた。

(この男、やはり良くわからぬな。)
そう心でつぶやくと、佐為はもう一度、目の前の小太りの男を見直した。

そう、この男とは、今までに何度か碁を打ったことがあるのだ。こちらもはっきり言って、よくわからない。が、強い。

先日も、宮中の競碁くらべごでこの男と打った折、いきなり対角になす星に次々と石を打ち、佐為を唖然とさせたのだ。
確かにそんな手も無くは無い、だが碁打ちとしてはめったに打たぬ手なのである。ただの思いつきなのか、それともこちら以上に深い読みがあるのか。あるべき石の流れの見えぬ飄々ひょうひょうとしたこの男の碁には、かなり苦戦させられたのだ。


佐為がもう一度困惑気に、床に並ぶごみに目を移すと、「では、始めますか。」そう言って、塵屑をつまみ上げ、”ごそごそ”と広げたのは、乱雑に切り取られた三角と丸がつながった紙屑である。それを ”くるり”とひっくり返すと、
「では、これを順に動かしますので、ここに書かれているのと、相違ないか見比べてくだされ。」
そう言うと、手垢にまみれた冊子を、眼前がんぜんに差し出され、少々それを手にするのは躊躇ためらわれたが、佐為は仕方なく受け取ると、汚れた表紙に 「部類ぶるい」の文字がかろうじて読み取れた。
どうやら、四つ折の紙に描かれているのは式場の絵図で、丸と三角の紙屑は人形ひとがたのつもりらしい。それらを使って式の次第しだいを、なぞるつもりのようである。

「それは代々当家に伝わる部類記ぶるいきで、めったに他人ひとには見せられぬもの。ましてや、式部の同僚など、もってのほかでございますよ。」
そう前置きすると、式場への入場に、どちらの足から歩を進めるのだとか、どこでどんな口上こうじょうべるのだとか、事細ことこまかに辿たどっていくのだが、途中、式部の丞殿の講釈まで入るのだから、気が付けば小半時こはんときも経っていた。




「はてさて、まったく。」
佐為はもう一度、溜息混じりにつぶやいた。

誰にも見せられぬ部類記ならば、何故私が相手をせねばならぬのか。やはり、良くわからぬ男だ。
だが、御蔭おかげですっかり次第は覚えてしまったし、もし式部の丞殿の代わりを務めねばならなくなっても、勤まるやも知れぬな。などと、暢気のんきなことを思いながら、回廊を歩く佐為が、不意に立ち止まると、その下を ”きらきら ”と流れる水面みなもに目を移した。


先ほどまでの秋雨あきさめは、今はすっかり降り止んで、慶麗殿けいれいでんへと続く細殿ほそどのには、淡い薄日が差し始めている。

その下を流れるせせらぎの周りに咲く秋牡丹あきぼたん石蕗つわぶきは、冷たい雨に打たれたせいか、濡れそぼったかしらかしげ、心なしか寒々さむざむしげである。


佐為はその端正なかんばせを、ゆっくりと振りあおぐと、その水上みなかみに目を向けた。


その先に見えるのは、優美な孤を反橋そりはしである。
そう、その流れは、あの反橋の下から続いているのだ。



―――私には、関係ない!

   にらまえるように見上げた黒い瞳と、
          きつく結んだ紅い唇―――。



(どうしているのやら。)


佐為は、”ふ”と小さく吐息といきくと、黒いほうを ”ふわり”と揺らし、慶麗殿けいれいでんへと踏み出した。


TOP  / NEXT