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(・・・え?) 葉月が ”きょとん”と、目を見開いた。 そして――、 ”ふわり”と薫った芳香に、 誘われるように ゆっくりと、 上げた瞳に映ったのは・・・、 いつもの優美な優しい笑顔―――。 (わ、わーっっ!でっ・・・、出たっっ!!) 「出た!」と言っても、もちろん ”ゆうれー(幽霊)”ではない。佐為である。 葉月が一人 ”あたふた”と、慌てふためいてる間に、いつの間にやら誰が差し出したのか、円座の上に座り込んだ佐為と、顔を上げた拍子に、思いがけなくも目が合ってしまったのだ。 (き、きゃーっっ、なっ、なに、なに、何ーっっ!?) さっぱり訳がわからない。 だが、佐為の顔を目にしたとたん、”ぼっ”と顔から火が出そうになったのだ。 忽ち、頬が赤らむのが、自分でもはっきりと感じられて、慌てて手平で覆い隠すと、”くるり”と顔を背けた葉月に、佐為は ”くすり”と目を細めると、 「所用に手間取り、せめて拝顔願おうと、ここまで参りましたら、楽しげな笑い声が、その妻戸の前まで聞こえておりましたよ。」 袍の袖を ”さらり”と払い、凛と居住まいを正すと、そう、畳を挟んで対座する倩命婦に執り成した。 「ほほほ・・・」 命婦殿が、可笑しげに声を上げた。 「由良が、また男に惚れて。 それが今度は選りに選って、あの気の弱い青瓜の少輔殿だと言うから、なんとまあ気の毒なことだと、皆で同情しておりましたよ。」 手馴れた仕草で ”するり”と広げた、派手やかな泥絵の扇を、さり気なく口元に翳して、戯けたように答えた命婦殿に、周りの女蔵人らが ”くすくす”と声を潜めて笑い出すと、 「もぉ、御局さまぁ、”またぁ”などと聞こえの悪いぃ。今度こそ、大丈夫でございますぅ。万端首尾良う、葉月殿が占のうてくれましたぁ。」 ”由良”と呼ばれた蓮葉ななりの女房が、”ぴょこん”と身を乗り出して、一瞬、媚びた目付きを佐為に向けると、あの少し調子の外れた甲高い声で、繕うように言い分けた。 (―――え?) 突然、自分の名を耳にして、驚いたのは葉月である。 ここは、とにかく事もなく、”とっと”と退散したくて、先程からずっと、どうしたものやら、懸命に考え込んでいたのだ。 願わくは、こっそりと消え入るような呪文でもあればいいのに、今度きっと陰陽師にでも聞いてみよう、などと、訳のわからぬことを真剣に考えていたところに、 突然、名が引き出されたのに驚いて、”ひょっこり”上げた葉月の顔を、佐為は ”ちらり”と見て取ると、 「ほう、巫女殿の占いねぇ。それはまた逸興な。 男と女の機微一つ、知らぬ気な巫女殿の、占う他人の恋路とは・・・、はてさて一体如何なるものか。」 そう、からかうように ”にっこり”と、艶やかな笑顔で声を掛けた。 (・・・は?) 何気に顔を上げた拍子に、不意に自分へ向けられた、相も変わらぬ綺麗な ”にっこり”に、またまた ”ぱっ”と赤らみかけて、葉月は、一瞬、”どぎまぎ”しかけたのだが・・・、 (な、何?き、機微??) ”ふ”と気を取り直して、よくよく聞いてみれば、久方ぶりに会った相手に、開口一番、相変わらず失礼な言い様である。 面と向って臆面もなく、”色恋ひとつ知らぬ女に、他人の恋路が占えるのか。”と、言われているのである。 佐為としては、理不尽としか思えぬ葉月の仕打ちに(あくまで佐為としては)、”やんわり”嫌味の一つも言ったつもりなのであろうが、そんなことなど、葉月が気づくはずもなく・・・、 (はぁ?) なんだか、一人 ”あたふた”と慌てふためいているのが、馬鹿みたいに思えて来て、さすがに少し ”むっ”として、佐為を ”ぴたり”と見返すと、 「占いは、占兆により現れた、その成り行きを見分けるもの。人の心を読むものではありませぬ!」 そう、”ぴしり”と言い返した。 「ふうん、なるほどね・・・。 ならば、ぜひ私も占ってもらいたいものだな。」 端正な口元に、”とん”と扇を打ち当てると、”くすり”と佐為が微笑んで、そう、葉月に応えるなり、 「ほほほ・・」と、高らかに声がして、 「女に手練れたそなたにも、そのように思い煩うことがあったのやら。」 そう、可笑しげに割って入ると、”ゆさゆさ”と大きな体を揺するように、倩命婦が笑い転けた。 「これはまた、お口の悪い。 女子のあしらいは碁の手立てより難しいもの。碁の手筋なら読めもしますが、女子の心の内など、未だ皆目わかりませぬよ。 おかげで、先日も、戯事を見咎められて、未だ少々揉めております。 全く、いつになれば機嫌を直してくれるのやら、ぜひ巫女殿に伺いたいものだ。」 そう ” にっこり”と澄ました顔で、洒洒と命婦殿に言って退けると、からかうような眼差しを、”ちらり”と、葉月に向けた佐為に、 (は、は、はぁぁぁーーーーっっ!?) ここで葉月が ”ぷちり”と切れた。 「たっ、たっ、戯れーーーっっ!? たっ、戯れで、あなたは!”あのようなこと”を、”あのような場所”で、堂々となされるのか!! その!いつもながらの不埒な所行!全くもって、呆れ果てる!! 占うまでもなく、その者とは凶!二度と、係わり合われますな!!」 ”たん!”と畳に手を突いて、噛み付かんばかりの勢いで、佐為に食って掛かると、葉月は ”くるり”と命婦殿へ向き直り、”ぺこり”と頭を下げて、 「御局様、申し訳ありませぬ。これからまだ、訪ねねばならぬ所がございます。今日はこれにて、御暇いたしとうございます。」 そう言うと、今度は丁寧に辞儀をするなり、”すっく”と立ち上がると、”きっ”と佐為を睨みつけ、”ぷい”と横を向くと、几帳の脇をすり抜けて、”ぱさり”と押し広げた御簾の遑をくぐり抜けた。 「な、何が男と女の機微、だ!あんな浮気な女誑しに、言われたくもない! おまけに、いつになれば機嫌が直るか、などと。あれでは、まるで私の方が拗ねているようではないか! 全く!気に障る言い様を!なんで、あの男は、いつも、いつも、ああなんだっっ!!」 ”たん!”と、音が聞こえそうな勢いで、廂に降り立つと、”のしのし”と歩き出した葉月が、そう、声を荒げた。 葉月の方にしてみれば、すべては皆、あんなところで、堂々と戯れ合っていた佐為の所為なのである。 このところ、手習いを休んでいるのも、宮中で、わざわざ遠回りをするのも、すべては、佐為と顔を合わすのが気まずくて、会いたくないが為なのである。 そして、そのことは、佐為の方だって、わかっているはずなのだ。 なのに・・・、 久方ぶりに顔を合わせた、と思ったら、機嫌はどうか、とか、元気だったか、とか、気褄を取るなり、安否を問うなりすることもなく、いきなり喧嘩を吹っ掛けられたようなものなのだ。 (何なのだ・・・) そんなことを、気にしていたのは、自分の方だけで、佐為の方は、何とも思っていなかったのだ・・・。 そう思うと、なんだか、つくづく自分が馬鹿みたいに思えてきて―――、 いつの間にやら ”のしのし”から ”とぼとぼ”に変わった葉月の歩みが、 いつしか ”ぽつん”と立ち止まると・・・、 「や、やっぱり、あんなの大嫌いだ!! 」 そう、声を上げ、”くっ”と手平を握り締めると、今度は ”すたすた”と歩き出した。 すっかり青味出した空が覗く、蔀格子の撥ね上げられた半蔀の窓からは、少しひんやりとした、丁寧に磨き上げられた床板の上に、淡い薄日が零れ落ち、 口さがない女房たちが、また、人の噂でもしているのか、耳を澄ませば、やっと聞き取れるくらいの話し声が、御簾を通して ”さわさわ”と、そよぎ渡る回廊を、漏れ聞こえてくる話し声など気にも留めずに、足早に行き過ぎた葉月は、 「そうだ、そうだ、あんなの、初めっから大嫌いだ!」 そう、もう一度繰り返すと、突き当たりの塗籠の角を ”くい”と曲がり、 「いけ洒洒と澄ました顔して、何が 『私もぜひ、占ってもらいたいものだ。』だ! 全くっ!なんで私が、あんな女っ誑しのことなぞを、この大切な羅盤で、占わねばならぬのだ!そんなの絶対、お断りだっっ!!」 そう、腹立たしげに呟いて、胸に抱えた包物を、”きゅっ”と大切そうに抱き締めると・・・、 ”ふ”と怪訝気な顔をするなり、”ぴたり”と、不意に足を止めた。 そして・・・、 もう一度、確かめるように手を当てると、いきなり ”ぺたり”と座り込み、床に置いた包の端を、一端一端もどかしげに ”ぴらり”とめくって広げると・・・、 「なっ、なっ、なーいっっ!!」 と、大きな声を上げた。 そう、どう見ても、大切な羅盤が見当たらないのである。 可愛い唐花が散らばった、綾織の綺麗な朱色の平包の上には、使い込まれてはいるが、丹念に磨き上げられた一尺足らずの唐尺と、”でん”と分厚い暦書が一冊、乗っているだけである。 さっき、佐為への腹立ちの余り、蹴立てるように退座して、うっかり命婦殿の局に忘れてきてしまったのだ。 (どうしよう・・・。) 「はぁ。」と、葉月が大きく溜息を吐いた。 大切な羅盤を、このまま置いて帰るのは気が引けた。だが、取りに戻る気にもなれなかった。 それ以上に、佐為ともう一度、顔を合わせるのが、どうしても嫌だったのだ。 (仕方ない。明日、も一度、取りに来よう。) そう思い直すと、「はぁ。」と、もう一度溜息を吐き、葉月が、冊子を包み直しかけた時・・・、 「これを、忘れている。」 そう、後ろから声がして、目の前に ”ふわり”と、羅盤が差し出された。 |