−想い 参− |
その小さな別墅の佇まいは、薄い椹を重ねた柿葺の入母屋に、巾五間程の母屋と、その正面に張り出した廂の中程には、三段ばかりの階があり、母屋を囲むように、”ぐるり”と張り巡らされているのは、築地ではなく、形ばかりの柴垣である。 さすがに厚かましいとは思ったものの、「今夜一晩、軒先でも貸してはもらえぬか。」と、佐為が申し出たのを、沙羅は意外と すんなり承諾すると、この別墅へ案内したのだ。 普段の身の回りのことは、山の麓に住む夫婦ものが、何某となく見てくれると言う言葉通り、母屋の前にある小さな庭先の雑草なども丁寧に刈り込まれ、周りの雑木の落ち葉も綺麗に片付けられている。 いつも そうしているのだろうか、沙羅は ”とんとん”と軽やかに階を上ると、中に佐為を招き入れた。 そろそろ日も傾きかけた部屋の中は、さすがに薄暗く、沙羅が手馴れたように灯台に火を灯すと、”ぱっ”と室内が照らし出された。 綺麗に片付いた部屋の中には、さすがに几帳や屏風は見当たらない。 だが、二階厨子や二階棚などの調度の他にも、誰かの お下がりなのだろうか、少し漆が剥げているとは言え、丁寧に使い込まれた唐櫛笥や鏡箱、香唐櫃等の小物のみならず、碁盤や和琴等も、所狭しと置かれており、何より一番目を引いたのは、部屋の片隅に立てられている白木の衣桁に掛けられた、可愛い白の撫子が浮き織りされた、黄檗色の表着である。 所々破れ目の目立つ簾をくぐり抜けた佐為が、その、思い掛けなくも まるで女の部屋のような様子に、何だか身の置き所が無くて、少し戸惑うように ”くるり”と周りを見回すと、部屋の片隅に置かれた碁盤の上に、石が乗っているのが目に付いた。 やはり そこは碁打ちのこと。”とことこ”碁盤に歩み寄って、”ひょい”と何気に覗き込むと、地は かなり埋まっており、定石や手筋を一つ一つ教えているのだろうか、その丁寧な石の並びが何だか微笑ましくて、いつの間にか ”ぺたり”と傍らに座り込んでいた沙羅に、 「そなたは、良い師に学んでいるな。」 と、声を掛けると、 「そぉ?」と、何とも うれしげに薄墨色の瞳が、佐為を見上げた。 (藤原雅隆殿か・・・) 不意に、この別墅の主のことが思われた。 確か、歳は、三十路も半ばを疾うに過ぎ、人伝に聞いた話では、その謹厳実直さには、民部卿さえも舌を巻くほどの かなりの堅物で、数年前に、流行病で妻と子を同時に喪ったと聞いていた。 そんな人となりと、目の前の異国の美しい少年が、どうにも結びつかないのだ。 沙羅は、夕餉を勧めると、里の者が用意していたのか、堅粥と羹、鳥や魚の干物や山菜を煮たのやらを、白木の筥の蓋に乗せて運んでくると、「これも、どうぞ。」と差し出したのは、皿に盛られた 丸々太った茹で栗と、さっき森で見かけたものか、”ぱっくり”熟れた木通の傍らには、油で揚げた唐菓子まで載っている。昨日、雅隆殿が持って来たそうである。 男の その細やかな心馳が、なんとも面映く感じられて、しばらく手を止めていると、 「食べないの?」 と、”ぱくり”と大きく頬張って、沙羅が怪訝気に佐為を覗き込んだ。 「今夜は、とても楽しい。」 そう、何度も口にした沙羅が、”ころん”と太った茹で栗と、懸命に格闘しだした頃、普段余り催促などすることのない疾風が、余程 腹が減っていたのか、「くーん」と鳴いて佐為を呼んだ。 さすがに、疾風の餌まで世話になるのは気が引けて、”とっぷり”暮れて冷え込んできた部屋の中の暖を取るため、火を熾した火櫃で湧いた湯水だけ貰い、手持ちの乾飯をふやかすと、疾風は ”はぐはぐ”と うれしげに食べ始めた。沙羅の好意で、疾風まで廂に上げてもらったのだ。 「あなたの犬になりたいな。」 疾風に餌をやり、目の前の円座に座り込んだ佐為に、そう ”ぽつり”と呟くと、入れ替わるように沙羅は ”すっく”と立ち上がり、簾の傍らに近寄って、”すとん”と膝を抱えるように座り込むと、手に持った干肉を、小さく割いて ”ぽんぽん”と椀の中に投げ入れた。 「お食べ。」 そう、沙羅が声を掛けると、疾風は ”くるり”と小首を傾げ、困惑気な顔付きで佐為の顔を窺った。 「お食べ。」と言われても、そこは狩犬である。主人の許したものだけしか、決して口にしないのだ。 その様子に、佐為が ”くすり”と微笑んで、「いいよ。」と小さく頷くと、疾風は千切れんばかりに尾を振って、椀をひっくり返さんばかりの勢いで、美味そうに食べ始めた。 「悪いな。」 そう、戻ってきた沙羅に、佐為が声を掛けると、「ううん。」と言うように小さく首を振り、円座の上に ”すとん”と腰を下ろすと、 「あなたの犬になりたいな。」 そう、もう一度 ”ぽつり”と繰り返した。 「辛いことでもあるのか。」 そう、聞きかけて佐為は咄嗟に口を噤んだ。 遠い異国の人が、年端もいかぬ身で、見知らぬ土地の こんな山奥に、たった一人で住んでいるのだ。どんな事情があるにせよ、辛いことが無いはずもなく、そんなことを口にするのが、ひどく愚かに思われたのだ。 「雅隆は優しいよ。とても善い人だ。こんな私に、二日と明けず、食べ物も、足りない身の回りのものも運んで来てくれる。碁も教えてくれる。本も読んでくれる。何一つ、不自由なんて感じたこと無いよ。」 沙羅は、そんな佐為の様子を察したのか、そう切り出した。 「でも・・、私は一人だ。 私には、あの人が―――わからない。」 ”ぱちり”と、小さく炭火が爆ぜた。 「どうして、私は ここに いるのかな・・・。 あなたは、あなたの犬を愛している。ちゃんと犬の方も、それをわかっているんだ。だから、あんな風に安心しきって、あなたの傍についているんだ。」 沙羅は、火櫃へと向直ると、立てた片膝に華奢な頤を ”とん”と乗せ、”ちろちろ”燃える炭の炎を、食い入るように ”じっ”と見つめた。 ”ぱちり”、又、小さく火が爆ぜた。 「船が・・・」 と、”ぽつり”と沙羅が呟いた。 その どこか幼げな横顔が、 ひどく儚げに見えた―――。 「船が庚蘭の海賊に襲われた・・・。 やつら、財宝と女、子供、金になるものだけを残し、後は皆海に捨てた。 変わった姿の私なら、高く売れるかと思っていたらしい。でも結局、立ち寄った丹後国の小役人に、二束三文で買い叩かれたようで、おかげで私は、荘園で働かされる破目になった・・・。 ―――たまにね、京から役人が来るのだよ。視察をしにね。」 そう言うと、沙羅は、「知っているでしょ。」と言うように、膝の上に頬を預け、灯台の揺らめく炎が照らし出す、陰影に象られた佐為の美しい顔に、”ちらり”と目を止めると、”ふわり”と 又、火櫃の炎に目を戻した。 「主人のね、目を盗んで売りに行くのだ、この体を。 『私を買ってくれないか。ほんの少しの食べ物と湯浴みだけでいい。』、そう言ってね。 都の人は、珍しいものが お好きらしい。喜んで買ってくれる。当たりの良いときは、小遣い銭までくれる者もいる。 だから・・・、 だから、あの時も、そう言って擦り寄ったんだ。『私を買ってくれないか。』と・・・。 あの人は―――、 少し驚いたように私の顔を見詰めると、 『そなたは、いくつだ。』と、そう聞いた。」 不意に、“くすくす”と可笑しげに、沙羅が笑い出した。その屈託なく笑うさまは、ほんの束の間、幸せそうで、沙羅の溢れる想いの一端を、垣間見たような気がした。 「普通、『いくら』と聞くだろう?それが開口一番、『いくつだ』、だよ。こっちが面食らってしまった。 咄嗟に、『十六』と答えた。 それが―――、 それが、あの人の喪った娘の歳と同じだと、後になって私は知った。 で、気がついたときには、あの人の帰京に同行させられていた。それ以来、私は、ずっと ここにいる。」 そう言うと、沙羅は少し寒いのか、”きゅっ”と膝を抱えるように、華奢な体を小さく丸めた。 「どうして、ここにいるのだろう。 私には、あの人がわからない。 ここにいて、良いのかさえも わからなくなった・・・。」 炎を見つめる薄墨色の瞳が、一瞬、濡れたように揺らめくと、沙羅は ”ぱしぱし”と目を瞬かせた。 「今年の夏の終わり頃―――、 急に、すごく暑くなったよね。その数日前から、私は、何だか食欲もなくて、あんまり食べてなかった。 昼も過ぎると とても暑くて、何だか起きてられなくて、そこの簾の端近にね、”ころん”と横になった。 里者の夫婦がね、心配してくれて、水を飲ませてくれたり、布を湿らせて おでこに当ててくれたり親切にしてくれた。 でも、引き止めるのも悪くって、がんばって少し元気な振りをして、帰ってもらったんだ・・・。 それでも、やっぱり起きてるのが辛くって、又、板間に横になった。 ひんやり冷たくてね、とても いい気持ちだった。そこから眺める庭の様子が、どんどん日も落ちて、空が真っ赤に染まる頃、”ふっ”と周りが遠のいて、このまま死んじゃうのかな、って思った。それでも、いいや、って思った。 あの人は―――、 泣いてくれるだろうか、そう思った・・・。」 |
<< NOVEL / NEXT >>
TOP...>>
余談ですが、沙羅の性別に関心のある方は
こちらを、どぞ..>>
素材:十五夜様