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「葉月・・・今何時じゃ?」 「は?」 葉月は、美しく花鳥風月の蒔絵が施された貝殻を、一つ選ぼうとしていた手を止めた。 目の前のやっと十になったあどけない埜依姫が、目をくるくるさせながら、葉月に問う。 「さて、もうそろそろ八つ半になりましょうか・・・。」 葉月は、御簾を帽額まで巻き上げ、明るい日の差し込む姫の部屋から陽の高さを確認すると、そう答えた。 「ならば、そろそろ帰られる頃じゃ。」 「???」 そこは、子供のこと。さすがの葉月も断片的な姫の話がさっぱり理解できない。 「どうなされました。」 急に、浮き足立つ姫に怪訝な顔をする葉月に、子犬のように四つんばいになり、“とことこ”と近寄ってきた姫は、葉月の耳元にささやく。 「・・・い殿が参られておる。」 「は?姫、もう少し大きなお声で・・・」 「だから・・・、藤原佐為殿が来ておるのじゃ!!」 「はぁ!?」 (は〜、また藤原佐為か・・・) 葉月は、内心大きくため息をついた。 先日、左大臣邸ですれ違ったあの男・・・碧なす黒曜石の長い髪と、艶やかな切れ長の瞳だけは、強く印象に残っていた。 ―――そして、微かな苦い記憶と・・・。 しかし、何故「また」なのか。 話は多少長くなるが、葉月は、巫女である。占いも仕事の一環であった。まあ、占いといっても、風水のようなもので、未来を垣間見るというより、正しい方向に導く、アドバイスというほうが正確であろう。普段は、あまりしない恋愛に関する占いを、年頃の姫君たちに良くねだられるのである。姫君たちの頼みとなれば、早々むげに断れない。その上、年齢もさほど変わらない葉月は、占いのみならず、色々な遊び相手としてもよく誘われるのである。例えば、今埜依姫としている貝あわせなどである。 そんなこんなで、年頃の姫君を持つ貴族たちの家に出入りすることもかなり多い。そして若い姫君たちが集まれば、色々な噂話に花が咲くのは、今も昔も変わらない。そこで、大概話に上るのが“藤原佐為”のことであった。(長っっ!!) 幼少の頃から、類まれなる才能を発揮し、若き天才棋士として、並み居る重鎮を退け大君の指南役となった、いってみれば、今で言う超エリートである。おまけに、その容姿の美しさが姫君たちの噂話に、さらに火をつけ、どこに行っても“藤原佐為”・・・なのである。とは言え、当の本人の姿を見たものは、ほとんどいないはずなのであるが・・・。 (藤原佐為が来ている?) 小首をかしげる葉月に、埜依姫は父上様の碁の指南に来ている藤原佐為が、もうそうそろ帰る時間だと言う。 「で・・・それが?」 ますます話の見えない様子の葉月に、逆に姫があきれた顔をした。 「葉月・・、そなた一度でも佐為殿を見てみたいと思わぬか?」 「別に」 あっさりと言葉を返す葉月に、今度は埜依姫が小首をかしげた。 「葉月、そなた殿方に興味ないのか?」 「は!?」 さすがに、まだ幼さの残る埜依姫に真顔で言われ、今度は葉月がたじろいだ。 この幼い姫が“藤原佐為”と言う男について、どのように聞いているのか判らなかったが、葉月が聞く話では、女に関してはかなりの手慣れで、艶聞盛しいと言うことだ・・・。だが、いくらなんでもこの幼い姫にそんな忠言もできない。まあ、言ってみれば、稀有なものを一目見てみたい・・・といった単なる幼い好奇心というところなのだろうから。 「何をしている。早く、行くぞ。」 そう言うと、衵の裾を掻き抱いて“たたた・・”と、廂を降りたと思うと、庭園の向こうに走っていく。あわてて、葉月も後を追う。 「姫!!姫!!どちらに行かれます!?」 酔芙蓉の咲き誇る、丁寧に手入れのされた庭を抜けると、青葉も美しい生垣があった。きれいに刈り込まれたその生垣は、優に葉月の背丈ほどもある立派なものである。その生垣の下に、うずくまるように姫が腰を屈め、少し密が薄くなっている葉の間を熱心に覗いていた。 「姫・・・、いくらなんでもはしたない・・。そのようなことをされては、この葉月がしかられます。」 「大丈夫じゃ。黙っておれば、誰にもわからぬ。」 「しかし、姫!」 葉月は跪くと、うずくまる姫の肩を持ち、部屋へ戻らせようと促した。 「ああもう、葉月。じゃまをするな。もう少し・・・。この葉っぱが邪魔をする・・・。」 と、一心不乱の姫に、“はぁ〜”と深くため息をつき、葉月はあきらめて、立ち上がった。 |