−想い 六− |
小さな庭の片隅にある黒竹の穂で葺いた小ぢんまりとした庭木戸は、両端に袖垣が付き、それに連なる柴垣の、束ねた雑木の合間から濃い緑の葉と共に、薄紅色の寒椿が可憐な八重の顔を 恥ずかしげに覗かせている。 そして、その傍らに立つ、優に一抱えはある梨の木の、小さな木戸を覆うばかりに張り出した枝先が誇らしげに纏っているのは、春 咲き乱れる白い小さな花でなく、眩いばかりに色付いた黄金色の黄葉である。 その木戸から上がった大きな声に、”ふわり”と顔を振り向けると、 ―――佐為が ”にっこり”微笑んだ。 「これは、御無事なようで なにより。いやはや、まこと心配いたしましたよ。」 柔らかな朝日が差し込む庭先を、”かさこそ”落葉を蹴散らして足早に歩み寄ると、満面の笑みで見上げたのは、いつもの人の良さ気な友成の顔である。 「いやあ、ほんに安心した。夕べ、佐為殿と山で逸れてしもうたのを、杜に知らせに参りましたら、葉月が この別墅のことを申しましてなぁ。ひょっとしたら こちらに身を寄せておられるのではないかと言うものじゃから、主の少輔殿と葉月と共に連れ立って、こちらを尋ねて参りました。途中、間道を辿ると申して別れましたが、葉月も追っ付け参りまするよ。」 友成は、そう ”にこにこ”と うれしさを隠し切れぬように、一気に捲くし立てると、 「おうおう、そなたも無事じゃったか。良かった、良かった。」 と、”ひょい”と屈み込んで、階の袂に ”ちょこん”と座った疾風の頭を ”くるり”と優しげに撫でた。 昨日、「親熊を追うて行った。」と家臣らから聞いて、怪我でもしておらねば良いが、と、随分 心配していたのだ。 そんな友成に、疾風が ”ぱたぱた”尾を振って、「わん!」と一声応えると、首元に結ばれた綺麗な濃藍の花結びの、 丸い小さな飾り房が ”ぽん”と弾むように うれしげに揺れ動いた。 「随分、面倒を掛けてしまったのではありませぬか。」 さして役にも立てず、行方知れずになった挙句、足元暗い早朝から、わざわざ こんな山中まで足労を掛けたと言うのに、いつもと変わらぬ大らかな友成の様子に、佐為が そう申し訳なげに声を掛けると、 ”よい!”と ばかりに腰を上げ、”ぴらぴら”片手を打ち振って、 「いやいや、何を申される。疾風には感謝しておりまするよ。昨日 疾風が駆けつけてくれなんだら、今頃うちの家臣は ”ぱっくり”熊にやられて、良くて大怪我、悪けりゃ命が無かったようですからなぁ。」 と、その様子を思い浮かべたのか、 「おお、痛い、痛い。」 と、友成が大袈裟に独言ちて顔を しかめるなり―――、 不意に怪訝な顔付きをして、”くるり”と小首を傾げた。 今し方、佐為の袂の陰から、”ふわふわ”波打つ金の毛の見慣れぬ形相をしたものが、一瞬 ”ひょこり”と覗いたのだ。 さっき、いきなり大声を上げ、現れた見知らぬ姿に驚いて、咄嗟に佐為の背後に逃げ込んだ沙羅が、どうやら それが佐為の知り合いと分かり、その妙に明るい物言いに なんだか好奇も手伝って 堪らず ”ぴょこり”と顔を覗かせたところに、思い掛けなくも惚けたような妙ちきりんなのと目が合って、びっくりした拍子に慌てて 又、引っ込んでしまったのである。 「ほう・・・、その尾っぽが、ここで匿うと言う異国の娘ですかな。」 友成は丸く目を見開くと、”ひょい”と興味深げに佐為の袂を覗き込んだ 実は夕べ、この別墅のことを葉月から聞き、兎も角も主である少輔殿に話を通しておくほうが良かろうと、五条の本邸を訪ねたのだ。 ”とっぷり”と日も暮れた尋常ならざる刻限に、物々しい狩装束のまま訪れたにも拘らず、丁重に対応に現れた主は事の次第を聞き終えると、やがて徐に 口を開き、ここに匿う少女のことを話し始めたのだ。 さすがに その突飛なことに少々驚いたものの、あえて事を大びらにすることもなかろうと思い、同行を願い出た少輔殿と、葉月だけを伴って ここへやって来たのである。 友成は ますます興味津々の顔付きをすると 尚も廻り込むように佐為の背後に身を乗り出して、 「おうおう、これは又 面妖な。子狐め、化けて人を救うたか?」 と、”にかっ”と笑って からかうように声を掛けると、佐為の衣の陰から、「わーっっ!」と大きな声が上がった。 まったく、さっき ”ヘン”なのと目が合って慌てて佐為の後ろに隠れ、”やれやれ”と思っていたところに、またまた その変てこなのに覗き込まれて、沙羅が思わず大声を上げてしまったのだ。 沙羅は咄嗟に隠れようと、佐為の羽織った衣の裾を ”あたふた”慌てて引っ被ると、 「狐じゃないや!」 ”ぷう”と 頬を膨らませ、そう ぶっきらぼうに言い放って、「あっち、行け!」と言わんばかりに、”ぴょこん”と突き出した足先を ”ぴょこぴょこ”と振り動かして、友成を追い払おうとした時―――、 「これ、沙羅。若い娘が そのような はしたない真似をするものではない。」 穏やかながらも ”ぴしり”と聞こえた叱咤の声に、 「雅隆・・」 ”ひょこり”と顔を覗かせて、沙羅が意外気に声を上げた。 「三条弁官殿には、事無くあらせられ何よりと存じ上げまする。 又、此度 其処な娘に非礼がございましたれば、私の不徳の致すことと思し召し、御寛容願えれば幸甚に存じまする。」 鮮やかな黄葉が成す煌くような黄金の中を、落ち着いた濃檜皮の ”すらり”とした狩衣姿が、”ゆったり”とした足取りで階の傍に寄ると、そう言って上げた面は、なるほど そろそろ初老に差し掛かかろうかと言う中にも、こざっぱりと剃り込んだ口髭の良く似合う面長な顔立ちは なかなかの男ぶりで、控え目な物腰にも、相応の貫禄が備わって その所作に そつが無い。 佐為は、軽く会釈を返すと、その怜悧な面に ”ふわり”と目を戻した。 (居ても立ってもいられなかった、か・・・) この寒空の下、恐らくは まだ暗い払暁のうちに都を出立したはずである。 右弁官である佐為の為ならば、家人の一人も随行させれば良いものを、わざわざ自ら同行したのは、佐為の安否を気遣ってのこともあったのだろうが、それ以上に案じたのは、ここへ独り置く沙羅の処遇だったのではないか。まだ明けやらぬ早朝に、いきなり見知らぬ者共に ”どやどや”と押し掛けられた時の沙羅の混乱を思うと、気が気でなかったのだろうな、などと、”ふ”と そんなことが思われて―――、 「少輔殿には夜も明けやらぬうちから御大儀な。 此度は難儀なところを助くうてもらい、心から礼を申し上げまするよ。」 と、佐為が そう労うなり、 「そうだ、そうだ、叱られるようなこと、私は なんにもしてないや。」 と、足元で不満げに呟く声が上がった。 どうやら、自分に非があると言わんばかりの言い様が まるで気に入らなかったようで、”くるり”と狩衣の裾に包まった沙羅が、”ぷう”と すっかり剥れてしまったのである。 (どれほど月舟を逸らせたとて、壮士は甲斐ないことだな。) そんな沙羅の様子に、なんとも目の前の月読壮士が気の毒な気がして、佐為は 思わず苦笑いした。 「そう言っていただけれは、なんとも ありがたく、こんな陋宅でも、お役に立ちますれば なによりでございまするよ。」 その穏やかなな面からは、心の動きは窺えない。雅隆は、落ち着いた物腰で そう畏まると、 「ところで、杜の社の巫女殿が未だ お着きにならず、その辺りまで お迎えに参ろうかと思おておりまする。弁官殿が ご無事でおられたことも、早う知らせて差し上げた方が よろしいかと思いましてな。口には されませぬが、随分と心配なさっておられた御様子でしたからなぁ。」 と、”ふわり”と佐為を振り仰いだ。 「ここで二手に分かれよう。」 途中、三本杉の分かれ道で、葉月は不意に馬の歩を緩めると、そう切り出したのだ。 下草に覆われた小さな石標の指す左手の山道は、普段登る本道で、やや遠回りになるとは言え、まだ道らしい道筋もあるのだが、右手に延びる枝道は鬱蒼とした木々に阻まれ、山に馴れた里人さえも余程の急事でもない限り めったに使うことはない。 だが、迷い人を捜すならば、そちらの道も辿るべき、そう判断したのか、 「左近衛殿を頼みます。」 そう言い置いて、躊躇うことなく馬脚を反すと、鮮やかに紅葉した木立の中に分け入ったのだ。 とは言え、薬草を採るため この辺りの山路に馴れている葉月ならば、疾うに姿を現していても良いはずなのである。 「おうおう、そうじゃな、そうしてもらえれば ありがたい。吉報は、早いに越したことはありませぬからなぁ。」 そう言って、いつの間に手にしたのか、さっき沙羅が放った小枝を、”ふりふり”疾風と戯れる手を止め、友成が ”よい”と腰を伸ばすと、 「いや、どうやら それには及びませぬよ。」 と、佐為が ”にっこり”微笑んだ―――。 今し方―――、 ”つらり”と組み廻らされた柴垣の向こう、 色鮮やかに紅葉した眩いばかりの木々を背に、 ”きりり”と白羽の矢を背負い、 白木の梓弓を携えた濃色の袴姿が、 ”凛”と栃毛の馬に乗り、 木戸の陰から現れたのだ―――。 「ふうん、あの巫女様が、あなたの大切な人なんだ・・」 その思い掛けぬ姿に、よほど うれしげな顔をしていたのだろうか、いつの間にか佐為の傍らに立ち、沙羅は ”ちらり”と葉月に目を向けると、 「あなただけ、ずるいよ・・」 そう悪戯気に振り仰いで、”するり”と絡めた佐為の腕を、”くい”と強く引き寄せるなり―――、 不意に引かれて前に のめった 佐為に大きく背を伸ばして・・・、 ―――”ふわり”と顔を近付けた。 「はー」 葉月は緩く手綱を引くと、深々と染み透る森の空気の冷たさを、その瞳で確かめるように、大きく白い息を吐いた。 すっかり夜は明けたとは言え、周りの雑木に阻まれて、まだ日の射し込まぬ間道には融けきらぬ霜が残り、馬が歩を進める度に ”さくさく”と音を立てた。 今朝方の冷え込みは、大分きつかったのだろうか、葉月の ほんのり赤みを帯びた頬に ”きん”と冴えた冷気が、”ちくちく”と刺すように痛い。 葉月は頭上に被さるように張り出した、鮮やかな深紅の枝葉の合間から覗く、抜けるように澄んだ空を ゆっくりと振り仰ぐと、軽く目を閉じ耳を澄ました。 山の西の向こう―――、 高く、低く うねるような声が、遠く微かに聞こえるのは、見失った人を呼ぶ従者たちのようである。 「佐為・・」 葉月は小さく呟くと、”きゅっ”と強く手綱を握り締めた。 夕べ、父との夕餉を終えて間もない 暮れ六つ時、”どかどか”と足音を立て、なんの先触れもなく現れた友成は、「神司殿、宜しいか。」と一言声を掛けるなり、 「困った、佐為殿の行方が分からんようになった。」 そう言って、”どっか”と御簾の端近に腰を下ろすと、 「どうなされました。」 と、当惑気に父が訊ねるのも もどかしげに、その日 山に入った仔細を話し始めた。 「―――日も暮れかけて、捜し回るにも、山を下りるにも難儀になりましてなぁ、仕方なく朝一番で出直すことにして戻ってまいりました。 知らぬ仲ではなし、取り急ぎ 御耳に入れておいた方が良かろうと、こちらに立ち寄りました。これから、三条の第宅に参りまする。」 そう 一通り手短に話し終えると、漸うと重い腰を上げた友成に、 「私も行く―――。 私も、明日朝、山に行く。私の方が、山に詳しい。」 葉月は、思わず そう申し出ていた。 近頃めっきり冷え込んで、先日 山には早くも霜が降った―――。 そう聞いていた。 この時期、急に朝夕の冷え込みが強くなり、山に馴れた里人でさえ その身軽な出立の為に、一旦迷えば命を落とすことにもなりかねないのだ。 だが、あの男のことである。 (滅多なことなぞ ないはず―――) そうは思っても、 (万が一、怪我でもして動けねば―――) そんな思いが過ぎったとたん、なんだか 早鐘のように ”どきどき”胸が早打って、締め付けられるように苦しくなったのだ。 「葉月・・」 慌しげに友成が立ち去った後も、”ぎゅっ”と袴を握り締め身動ぎ一つせぬ娘を、気遣うように声を掛けた父に、 「放ってはおけますまい。知らぬことなら いざ知らず。それが誰であろうとも、山に入って戻らぬと聞けば、放っては置けませぬ。」 ”ふわり”と顔を振り向けて、心なしか沈んだ声音で そう答えた葉月は、結局 その夜 寝付かれぬまま、まんじりともせずに明けを迎えたのだ。 「はー」 葉月が、も一度白い大きな息を吐いた。 今度は、冷たく悴かんだ手指を暖めるためである。捜し求める別墅は、この道を登り切れば もう直ぐ其処である。 (いるだろうか、あの男は・・) 不意に、いつもの いけ好かない ちょっと小ばかにしたような、綺麗な佐為の笑顔が浮かんで―――、 葉月は、”とん”と鐙を打つと、 馬の歩みを逸らせた―――。 |
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| *三条弁官については・・・ 「登場人物設定」 ”藤原佐為” をどぞ...>> *霜が降る・・・ 古くは、霜は 「降りる」のではなく、雪と同じく 「降る」と考えられていたそうです。ちなみに、陰暦11月を 「霜降月」とも言います。 |