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「葉月、御前手加減と言う言葉を知らぬのか?」
葉月が、見事なまでの弓引きを披露し、四射皆中かいちゅうで戻るや否や、隣の友成が小声で言う。
「はぁ?」
あっけに取られた顔をして、葉月は友成の顔に眼を留めた。
「はぁ?ではないぞ。もそっと俺の立場をかんがみてみよ。俺は、近衛少将、御前は巫女だ。その俺たちが、こうも僅差きんさでは俺の立場がなかろろて。」
ますます小声で不平を並べる友成に、
「だが、右少将殿には絶対に負けるなと言ったのは、友成であろう。」
呆れ果てたように葉月が応えた。

―――その時、御簾を通して声がした。
「佐為・・・そなたの弓射ゆみいも見てみたい。」

―――六条中院なかのいんである。

“佐為”そう呼び捨てる声に甘やかな響きを感じて、葉月の胸が“どきり”と鼓動を打つ。

御簾の向こうを透見すきみるように、ぶるような目を細め、こちらも少し呆れたように応える。
「これはまた、異なことを・・・。私はただの碁打ちなれば、私の射る矢など、御目汚しにしかなりませぬ。」

“ふふふ・・・”
楽しそうに笑う声がし、
小弓こゆみの名手と名高いそなたが、たいそう控えめなことを言う。」

佐為は“ふ”と、困惑げな笑みを浮かべ、”ちらり”とその眼を葉月に向けると、
「巫女殿の後なれば、少々私には荷が勝ちすぎますね。」
そう言いながらも、さすがに中院の申し出に否はいえぬと判断したか、ゆっくりと立ち上がった。



東のたい孫廂まごびさし弓場ゆばに見立て、北端に立てられた的中的てきちゅうてき射掛いかける―――。

たわむれなれば、一矢いっしのみ。」
御簾の向こうへ目を遣ると、そう言い置いて、佐為が立つ―――。



―――突然の申し出に、弓具を持たぬ佐為が、友成にその拝借を乞うた。

(えっ!?)
それを聞いて驚いたのは、葉月の方である。
(この男。友成の弓を引くというのか?)

確かに、佐為と友成の体格はほとんど変わらない。だが、左近衛少将である友成の弓は、五人掛りで張られたかなりの強弓こわゆみである。並大抵の男では引き分けることなど到底無理。ましてや、素引すびきもせずに下手に引けば、紋竹もんちくをも割りかねない。
いくらなんでも、小弓の名手というのであれば、そんなことぐらいわかっていそうなものである。

「しかし、友成・・・。」
その申し出にてらいもなく応じる友成に、反駁はんばくしようとする葉月を制し、
「―――否、おそらく・・引く。」
そう、友成は静かに言い退けた。



直衣を“するり”と片脱ぎすると、佐為はおもむろに射位に立ち、二、三度試すように握りを返していたが、了見したか、的を見定めるとゆっくりと足を踏み開き、弓を構えた。

―――水が水瀬を流れるような、一抹の無駄もない流麗なその所作が、優美な孤を描く。

無限の彼方を見据えるような端麗なその横顔には、平生の艶まめかしさは微塵みじんもなく、凛然りんぜんとした双の目には清心さすら感じられる。

―――“さわり”と風が吹いた。
前髪の後れ毛が、微かにその目元でゆれる。

“ふっ”とその目が細められ、しなやかな体躯が、弓を“きりり”と、無限に引き分ける。

―――つるを無限に引いたまま、
     僅かに時が止まる―――。

その時、身動みじろぐことなく、その挙動を追う葉月の目が見開いた。
(この男!かなりの手馴たなれ!)

その刹那、極限まで張り詰められた弦がたまらぬようにその指を突き放し、光彩を放ったかと思われたその瞬間、澄Mちょうてつ弦音つるねと共に、“パシリ”と鋭い音を立てて、矢は的を貫いた。

「ほぅ・・・」
傍観するものたちから、ため息のような感嘆が漏れる。
そりゃそうである、図らずも、的中からは僅かに外れてはいたが、佐為の身上を考えれば、見事というほかはない。

思いのほかのその妙技に、友成も”ううむ゛”と一度低く唸ると、
「今度加勢のいるときは、佐為殿にでも頼よろうか。」
そう言いながら、おどけたような目を葉月に向けた。

―――大きく開かれたしなやかな体躯。
   無限の彼方の矢所やどころを捉えたままに、
     微動だにせぬ凛然りんぜんたるその麗容―――。

葉月もさすがにその見事さを認めぬわけにもいかず、眼前がんぜんの佐為の姿に眼を留めたまま、不詳ながらも黙諾もくだくした。



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